大阪高等裁判所 昭和62年(う)732号 判決 1988年6月08日
本籍
滋賀県大津市月輪二丁目一六二番地
住居
同市月輪二丁目一七番一二号
農業
木村喜久治
大正一四年七月二三日生
右の者に対する相続税法違反被告事件について、昭和六二年三月二三日京都地方裁判所が言い渡した判決に対し、原審弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。
検察官 大口善照 出席
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役六月及び罰金一二〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金二万五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人福島正、同竹林節治、同畑守人、同中川克己、同河本光平連名作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官大口善照作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、原判決は、被告人がその実父木村喜平治の死亡に伴う本件相続税の申告に関し、全日本同和会連合会京都府・市連合会(以下「同和会」という。)副会長村井英雄、同会事務局長長谷部純夫(以下同人らを「村井」、「長谷部」という。)らと共謀し、多額の架空債務を計上するなどした内容虚偽の相続税の申告書を提出し、不正の行為により原判示の相続税を免れた旨認定したが、被告人は右共犯者らと脱税を共謀したことはなく、同人らに対しては適法な申告手続を依頼したのであって、脱税の犯意もなかったから、以上の点において、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。
しかし、原判決挙示の各証拠によれば、原判示相続税法違反の事実は、所論の共謀及び犯意の点を含め肯認することができ、原判決が右認定の理由として、「事実認定について」の中で説示するところも、その一部を除き、概ね正当として肯認することができるが、所論にかんがみ、以下に補足説明する。
先ず、前記各証拠によれば、被告人が本件申告をなすに至った経緯ないし経過は、概ね原判決が、「事実認定について」の「二 事実関係(本件の背景、経緯及び税申告の方法、態様等)」において判示するとおり(但し、後に指摘する部分等を除く。)であると認められるが、記録により一部補足する等してこれを要約摘示すると、次のとおりである。
<1> 被告人は、前記実父の存命中の昭和五七年一〇月ころその所有地を売却した際、本件共犯者の一人である原判示の司法書士松本善雄(以下「松本」という。)に右登記手続を依頼するなどしたことから同人と知合い、以来同人は被告人方に出入りするようになったが、昭和五九年四月実父の死亡によりその財産相続や相続税の問題が現実化し、当時右松本と幾度か会う機会があり、かねて同人から相続税を特別な手段によって節税する方法がある旨聞かされていたことから、改めてこの点を尋ねたところ、同人から大要、「同和会に頼んで納税申告すると、税金が五〇パーセント節約できる。正規の税金の半分の金をカンパ金として出すと、それで申告もし税金も払ってくれる」、「同和会は自民党系の政治団体であり、安心できる」などと説明され、なお同会の役員と直接会って説明を聞いたうえで決めるのがよいといわれたので、右役員らとの紹介を依頼したこと、<2> そこで右松本は、早速その旨を前記村井及び長谷部に連絡し、同年七月初旬(同月二日ないし三日)ころ、右両名のほか、松本及び原判示の惣司定次郎(以下「惣司」という。)の四名が被告人方を訪れて面談し、その席上、主に長谷部から被告人に対し、概略、「同和会は自民党直轄の政治団体であり、その公の活動の一環として納税対策の運動をしている。同会を通じて納税申告をする場合には、同会に正規の税額の五〇パーセントをカンパ金として出してもらえば、その中から税金を納付し、残りの金は同和会の活動資金等に活用される」、「同和会に委せてもらえば、会が責任をもって納税申告をする。従前、税務当局は同和会の申告をそのまま認める建前であり、税務署からクレームがついたり、調査があったこともないので、心配いらない」などと説明し、傍から松本らも、長谷部らに一任するのが得策である旨口添えし、結局被告人は、その場で同和会を通じて申告することに決め、長谷部らに対し、本件相続税の申告手段を委せたこと、<3> その後、被告人においては、松本と再三連絡をとり、正規の本件税額の計算を依頼するなどし、一方、長谷部らにおいては、申告税額を正規税額の一割程度に圧縮する内容の本件相続税の申告に必要な一件書類の作成等に当るなど、原判示のような経過を経て、昭和五九年一〇月二五日の午後、長谷部、村井、松本、惣司の四名が、原判示の申告書など本件申告に必要な書類を持参して被告人方を訪れ、被告人に対し、いわゆるカンパ金は四七八四万円であり、これに申告書類作成費用一三〇万円を加えた合計四九一四万円を交付するよう求め、被告人は即座にこれに応じて右同額の現金を長谷部らに交付し、これを受領した長谷部ら四名は、直に被告人方を辞し、右現金を持参してその足で所轄の大津税務署に赴き、原判示の内容虚偽の相続税の申告書等を提出して申告を終えたこと、<4> 前記長谷部ら四名は、右申告終了後大津市内の喫茶店に立寄り、その店内で、長谷部が前記被告人から受領した金員のうち本申告に要した九〇六万余円を差引いた残金の中から、右四名の分け前である旨明示して、松本及び惣司に対し各一〇〇〇万円を交付し(但し後刻松本は費用分として惣司から一〇〇万円を受領)、自己及び村井分として各一〇〇〇万円を分配したが、被告人は、自己が同人らに交付した大金の大半が四名間で山分けされるような事態は全く知らずに前記金員を交付したものであり、かつ右金員中、税金といわゆるカンパ金との割合についても説明は受けておらず、ただ申告終了後松本が届けてくれた本件相続税の「納付書・領収書」を手にして、初めて本件申告税額が九〇六万余円であることを知り、その過少であることに驚きの念を抱いたものであり、更に、松本らに対する本件の謝礼金が右金員に含まれているかどうかも知らなかったため、後日妻と相談して、本件申告で世話になった謝礼として、松本に対し現金一〇〇万円を交付していること、<5> 他面、被告人は、松本から前記節税の話があった当初から、同和会の申告では何故に税金が半分以下と格安になるのか、その理由について疑問を持っていたところから松本に対しこれを質した結果、同人から被相続人に債務があったことにして申告する旨簡単な説明を受けたことがあり(なお原判決は、右説明はなかった旨消極の認定をしているが、それが当を得ないものであることは後に詳細に説示するとおりである。)、また、長谷部らから前記のように同和会の納税活動ないし税務対策が適法であり国税当局も認めているとの説明は受けていたものの、その説明につき疑念を拭い切れず、税務署の調査があった場合に備えて、昭和五九年九月下旬ころ松本に対してこの点に関する書面を要求し、本件申告の当日松本らから同人ら三名が連署した同日付の念書と題する書面を受領していること、以上のとおりであると認められる。なお、原判決は、前記<4>のうち、本件申告税額に関する被告人の認識の有無の点にふれ、前記一〇月二五日に被告人宅で長谷部ら四名と会った席上において、被告人は「目の前にあった申告書の申告納税額を見て知ったか、さもなくばその数額を改めて知る必要もないほどに長谷部らが行なおうとする申告手続の不正な内容に通じていたものとみなければ前後の状況が合理的に符合しない。」旨判示する。しかし、長谷部らが持参した本件申告書類は、原判決が挙げる申告署のみでなく、優に一冊の書類綴をなすほどの大部な書類(申告書のほか、「相続税の総額の計算書」、「相続税がかかる財産の明細書」、「債務及び葬式費用の明細書」、「相続財産の種類別価格表」、上記書類に関する証憑書類等ほぼ五〇枚近い書類)をなすものであり、しかも申告税額につき長谷部らから被告人に対し説明がなされたことを肯定する同人ら関係人の直接的供述が見当らないこと等をも加味して考えると、前記被告人の弁明は、むしろ、原判決が指摘するのとは逆に、当時の客観的諸状況等とも矛盾せず、当時における被告人の心理状態ないし認識如何を目前に述べたものと考えられるのであって、右弁明を覆えしてまで、この点を積極的に認定すべき証拠は見出し難いから、原判決の前記見解は、その根拠が薄弱であり、左袒できない。
右に認定した諸点に微すると、被告人は、本件申告書(の内容)を事前に見たことがなく、かつ長谷部らがいかなる内容の不正申告をするものかについては、具体的には承知しなかったものの、ともかく、同人らが架空債務を計上するなどの手段を用いて本件申告をすることは、大枠的には了知していたこと、また被告人は、長谷部らに本件申告を依頼することにより、多額の相続税を免れる事態について、それが正当な申告納税であるとは考えていなかったことを推認するに十分であり、従って偽りその他の不正行為により税を免れることの認識、すなわち脱税の故意に欠けるところはないものというべきである。
また関係証拠によれば、被告人が原判示の共犯者らとの間で、順次共謀を遂げたと認められるから、被告人において、本件犯行につき共同正犯としての罪責を免れ得ないものというべきである。
所論は、先ず、本件の真相は、従前本件同種手口で多数の脱税事件を手掛け世上脱税コンサルタントとも称された同和会役員である長谷部らが、被告人に信望厚い松本らと謀り、被告人からカンパ金の名目で受取る金員の大半を同人らで山分けする意図を秘匿したうえ、被告人に勧める「同和の優遇措置」が公認された同和の税務対策で適法である旨を強調するなどして巧妙に被告人を欺罔し、五〇〇〇万円近い大金を騙取した点にあり、被告人においては、同人らの詐欺的意図に全く気付かなかっただけでなく、計上された架空債務の金額や債権者等の内容については勿論、架空債務を計上すること自体についてすら知らなかったものである旨主張する。
たしかに、前記の被告人が本件申告を長谷部らに依頼するに至った経緯や右申告がなされた経過等に照らすと、本件事案は、脱税事件としての本来の性格のほかに、共犯者とされる同和会役員らが、表向きは公認の税務対策を遂行する外観を装いながら、所論の個人的利得獲得の意図を被告人に秘匿したうえ、納税者である被告人の節税心理に巧みにつけ込んで仕組んだ詐欺的色彩をも有することは、否定し難いものと考えられ、その限りにおいて、右所論の指摘は正当であると考えられる。
しかし、その余の所論のうち、被告人が同和の優遇措置につき、長谷部らの説明通り適法であると信じたとの点については、前記<5>において判示したとおり、被告人は右説明につき当初から疑念を抱いていたと認められるのであって、この点については、被告人自身も、捜査段階における検察官の取調に対し、その旨当時の自己の心境を具体的に述べながら自白しているところでもあり、右主張が採りえないことは、原判決が詳しく説明するとおりである。
ところで、架空債務の計上に関する点について、松本は後記のように被告人に対し説明した旨供述するのに対し、被告人は、捜査段階及び公判段階を通じ一貫して、右説明は受けていない旨所論に沿う弁明供述をし、当審においても右弁明を維持しているばかりか、原判決も、前記のとおり右弁明を肯認する判断を示している。
松本と被告人とは、事柄によっては利害相反する立場にもあり、同人の供述の信用性は慎重に検討されなければならないが、前記認定の被告人が同和会による申告を勧められた経緯ないし経過等ことに、松本から受けた説明については、その内容自体を知るだけでその根拠につき疑問を抱くのが普通であり、従って税が格安になる理由につき説明を求めるのが自然であると考えられることのほか、松本は、右の点につき、原審証言において同人の捜査段階における検察官に対する供述とほぼ同一内容の証言をし、被告人の弁明と相反する証言をしているところ、同人は架空債務を計上すること自体は話したが、右債務の金額や債務の内容については一切説明していないと明確に証言するなど、自己の記憶に反し否定すべき点についてはこれを明確に否定していること等に照らし、右証言は十分信用できるものと認められ、以上の諸点に微すると、被告人の弁明は、たやすく信用できないものというべきである。
次に、所論は、<イ>前記の念書は、被告人が以前不動産業者に土地を売却した際、右売却に伴う税金を全体として節税するため、右業者との間で合意を取り交わしたが、これにつき書面を作成しなかったばかりに後日紛争が生じたことがあり、右の経緯があることから、本件についても、何か書面をもらう必要があると考え、申告を依頼した同和会が同会の利益を優先させ、被告人の利益を害うことがないようにと考え、松本に依頼して交付を受けたものであり、念書との表題や文書の内容は、すべて同人が一方的に作成したもので、素人である被告人としては、ともかく書面をもらったので安心したというのが実状であったから、念書に関する原判決の判断は不当であり、<ロ>また、農地を相続する被告人としては、本件相続税を半減しようとするならば、法律が認める農地特例措置の適用を受ければ容易にその目的を達成できるのであり、かつ右特例措置を受けるにつき何ら支障となる事情はなかったから、同和会の申告が違法であることを認識していたのであれば、あえて長谷部の言辞に乗り危い橋を渡る必要はなかったのであるから、同人らのいう「同和の優遇措置」で税金が半額になるとの点は、本件申告を依頼する動機とはならない、と主張する。
先ず、右<イ>については、所論の念書が授受された経緯は、前記<5>において認定したとおりであることのほか、右念書の文言記載(その要旨は、後日本件申告に関し税務署からクレームあった場合は、同和会において一切その処理をし、被告人には何ら迷惑をかけないというもの)等に徴すると、右念書は到底所論がいうような趣旨で取り交わされた文書であるとは認め難く、この点に関する原判決の説示は相当であるから、右所論は採り得ない。
次に、右<ロ>については、被告人は本件以前から所論の相続農地に関する特例措置を承知しており、かつその適用を受けるにつき法的な支障がなかったことは所論のとおりであると認められ、そして被告人は、昭和五九年七月初旬の前記被告人宅における長谷部らとの会合の席上で、同人らが勧める同和会を通じての申告と所論の特例措置の適用を受けた場合との比較得失につき質問しており、当時右特例措置に関し強い関心を有していたことが認められるものの、右質問に対し長谷部が同和会による申告の方が得策である旨理由をあげて説明し、また松本らも長谷部らに一任した方が得策である旨口添えしたこともあり、結局その場で所論の特例措置の適用を受けるのを断念し、同人らに本件申告手続を依頼したことが認められるから、右所論も失当である。
その他所論にかんがみ記録を調査し、当番における事実取調の結果を参酌しても、原判決の事実認定に所論のような誤りは存しない。論旨は理由がない。
しかし、職権をもって原判決の量刑につき検討するに、本件は、被告人が共犯者である同和会幹部らと共謀のうえ、相続税を逋脱した事案であって、逋脱税額は正当税額九一八〇万〇七〇〇円との差額八二七三万三〇〇〇円と多額に上り、その逋脱率は約九一パーセントと甚だ高率であり、被告人の刑責は軽視できないが、他方、逋脱率に関しては、被告人はそれが五〇パーセントを下回わる数字になることは予測していたとはいうものの、共犯者らが前記のごとき極端に高率な脱税を意図している点までの認識はなかったこと、被告人が共犯者らに本件申告を依頼するについては、右申告の受託により多額の金銭的利得を目論んでいた共犯者による、巧妙で詐欺的手法をも交えた勧誘、説得が与って力あったものであり、かつ被告人においては、前記共犯者らの詐欺的意図に気付かなかったものであり、同人らの欺罔行為により多額の金銭的損害を蒙った点は否定できず、一面において被害者的立場にもあるといえなくもないこと、被告人には過去に前科前歴は全くなく、現在では自己の軽率を悔い本件を反省していること、その他被告人のため斟酌すべき諸般の情状に照らすと、被告人を懲役一〇月(執行猶予三年)及び罰金一五〇〇万円に処した原判決の量刑は、懲役刑の刑期及び罰金刑の金額の点において重きに過ぎるものと認められる。
よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決することとし、原判決の認定した事実に、原判決の挙示する各法条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 近藤暁 裁判官 梨岡輝彦 裁判官 久米喜三郎)
昭和六二年(う)第七三二号
○控訴趣意書
被告人 木村喜久治
右の者に対する相続税法違反被告事件についての控訴の趣意は左記のとおりである。
昭和六二年八月六日
右弁護人
弁護士 福島正
弁護士 竹林節治
弁護士 畑守人
弁護士 中川克己
弁護士 河本光平
大阪高等裁判所第六刑事部 御中
原判決には、明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認が存するので、その破棄を求める。
第一、原判決は、被告人が全日本同和会の関係者らと共謀の上、相続税を免れることを企てたこと、同和産業に対する二億一千万円の債務を仮装するなどした上、虚偽の相続税の申告書を提出したことを認定しているが、次に記述する証拠及び理由によって右認定は明らかに誤りである。
なお、本書面においては、第二において本件の事実経過を確認した上、これを踏まえて第三において本件の真相を分析し、更に第四において原判決の判断の構造的矛盾を明らかにする所存である。
第二、本件の事実経過は次のとおりである。
1、被告人は農家の長男として生まれ、家業の農業を手伝うなどしていたものである(原審第五回公判調書と一体となる証人木村保子の証人尋問調書-以下第五回保子と略称する-一・二丁目)。
昭和五五年から同五七年にかけて父喜平治名義の土地を鐘紡不動産に売却することになり、その交渉を行ったのであるが、その際司法書士の松本善雄、不動産業者の惣司定次郎と知り合った(第六回被告人一丁目表二行目・第五回保子三丁目)。
2、昭和五九年四月二六日、喜平治が死亡し、同人名義の不動産等の相続問題が発生した。
法定相続人は、長男である被告人の他に姉妹三人と母十重の四名がいたが、当時被告人は喜平治の死亡に伴う葬儀、法事等の行事の他、田植え等の農作業に多忙であり(第五回保子一八乃至二一丁目)、相続に関する協議は全くなされていなかった。
3、喜平治死亡後、松本、惣司の両名が初めて被告人宅を訪ねて来たのは、同年六月初旬頃であった。
右訪問の際、被告人は風呂の薪をくべながら両名と立ち話をした程度であるが、お悔みの言葉の他に松本から相続登記を自分に依頼して欲しいとの申出がなされ、惣司からは相続税の申告のことで困ったことがあれば相談して下さいとの話があった。
この日の両名の訪問は、将来被告人が相続税の申告を同和会に依頼するよう仕向けるための最初の根回しであったと思われるが、被告人としてはそのようなことは知る由もなかった。
尚、この日は松本らも「税金が安くなる方法がある。」などということまでは説明していなかったのである(第六回被告人五丁目表一二行目・第五回保子一四丁目裏一二行目)。
原判決は、四丁目表四行目以下において、被告人が「ある組織」の人を紹介してくれるよう松本・惣司に頼んだと認定しているが誤りである。また仮に、松本・惣司は当初から思惑があって被告人にアプローチしてきているのであるから、被告人に相続税の申告を同和会に依頼させる状態としての話がそれとなくあったとしても、被告人の側に積極的な関心があったわけではないのであるから、「ああ、そうですか。」程度の返事をもって、「紹介してくれるよう頼んだ」ものと評価することは妥当でないし、被告人に明確な記憶がないとしても何ら不自然ではないのである。
4、同年七月上旬、松本は長谷部純夫、村井英雄及び惣司を伴って再び被告人方を訪ねて来た。
被告人は長谷部、村井と全く面識がなく初対面であったが、松本が長谷部を「(税金)の先生です。」と紹介したので、なるほど長谷部からもらった名刺には税理士との肩書は明示されていなかったものの、仮にも司法書士が相続税の申告のために紹介する人物であるから、当然法律上の資格を有する税理士であろうと思い込んだものである。(第六回被告人六丁目表最終行・第五回保子二三丁目裏最終行)。尚、一方の村井については格別の紹介もなく、同人も特に発言しなかったため、被告人ら夫婦としては長谷部の運転手でもあろうかと話合っていたくらいである(第六回被告人八丁目表一行目・第五回保子二五丁目表一行目))。
尚、鈴木元動丸、渡守秀治については、その後も紹介されたことはなく、被告人としては全く預かり知らない人物である。
原判決は、一五丁目表において、「松本が被告人からは単に税理士の紹介を頼まれたに過ぎないのに、その機会を利用しあるいは被告人を欺すつもりで、同和会筋の者を同行したとは到底思えない。」と述べるが、むしろ松本の手口としては、当初は通常の方法による申告手続の依頼の勧誘と見せかけておいて、徐々に同和会だの、優遇措置だのと被告人を説得し、なし崩し的に自己の土俵に引っ張り込んでいったのであり、「その機会を利用し」、「被告人を欺すつもりで」行動した考える方が自然であり、何を根拠に「到底思えない」とまで断言するのか理解に苦しむ。松本が同和会関係者を同行したのは、あくまでも松本や同和会側の思惑と駆け引きによるものであり、これをもって被告人の意図や依頼の趣旨を説明することはできないのである。
ましてや、(「税理士の)資格のない同和会の者を連れていくのは大体においてお門違いだ」などという論法は全くの詭弁であり、被告人の真意を無視してどんどん同和会サイドの筋書に引っ張り込んでいくという「お門違い」なことを仕掛けたのが松本、長谷部らの犯罪集団であるという事態をこそ見つめるべきである。松本は被告人のためを思い、その意図を汲んで行動していたのではないのである。
また、同和会の者であることを隠さなかったことは、後日「同和の優遇措置」を被告人に押しつけるための当然の前提であり、格別の意味はない。逆に被告人の側から見ると、「同和の優遇措置」の話が具体的に出ていない時点では、長谷部らが同和会の関係者であるか否かは関心の対象外であり、当時この点を注意的に確認等しなかったとしても何ら不思議はない。
なお、この日の話題は、主として鐘紡不動産が被告人の住所地周辺において進めていた土地の地上げの進行状況に関するものであり、もちろん被告人としても松本が被告人に相続税の申告を長谷部に依頼させるため同人を紹介したものであることは察し得たが、相続税の申告については格別具体的な話はなされず、正式に長谷部に依頼したわけでもなかったのである(第六回被告人八丁目表一〇行目)。松本、長谷部らの側の思惑や狙いはともかくとして、被告人としては明確な意図があってこの席に臨んだわけではなかったのである。また、松本、長谷部らとしても、この日は取りあえず長谷部・村井を被告人に引き合わせることが目的であり、具体的な打ち合わせ等を行うつもりはなかったのであるから、税金や申告についての詳細な話がなされなかったことは、むしろ当然なのである。
5、被告人としても、六ヶ月以内に相続税の申告を行わなければならないことは承知していたが、当時は前述のとおり法事等の行事や農作業等で多忙であり、相続税の申告のことまで気がまわるような状況ではなかった(第六回被告人九丁目表七行目)。
松本からの話とは別に地元の農業共同組合からも、申告を依頼してほしいとの申入れがあり、農協に対しては地元の農家としてのそれなりの義理もあるため、被告人としても何れに申告を依頼すべきかは決めかねている状態であった(第六回被告人一〇丁目表三行目)。
6、被告人が他の法定相続人との間の協議を進めるために具体的に行動を起こしたのは同年七月二〇日頃のことでる。
この頃被告人は、姉妹三人の自宅を順次訪問し、手続上必要な印鑑証明を入手してくれるよう頼み歩いたのである。
その後、同年八月一七日、いよいよ姉妹らと相続について本格的な交渉を行った。席上、姉妹らは相続財産の一部を要求し、被告人が単独相続することについてかなりの抵抗を示したものの、十重が「この他圃は先祖伝来の田だから兄ちゃんに全部相続さしてくれ。」と頭を下げて頼んだため、漸く姉妹らも納得し、被告人が長男として単独相続することに決まったのである(第六回被告人一二丁目表一〇行目、第5回保子二七乃至三一丁目)。
原判決は四丁目一行目以下で、当初から被告人が単独で相続することになっていたと認定し、右認定を前提に、被告人は相続開始当初から相続税対策を案じていたとするが、明らかに誤りである。
7、このようにして、八月一七日の時点で被告人が単独相続であることが決まり、また税務署から相続税の申告用紙等も送付されてきたため、被告人としてもいよいよ相続に関する登記及び相続税の申告について具体的に話を進めることになり、同月二〇頃、まず農協職員の舟橋克典に相続税額の概算を依頼した。
舟橋の説明によると、税額は農地特例の適用を全く受けない場合には概算で一億円ぐらいになるが、農地の半分についての特例の適用を受けると約五千万円で済むとのことであった(第六回被告人一三丁目・第五回保子三四丁目表四行目)。
8、一方松本からも同年九月上旬、被告人に対し、普通の方法で申告すると大変な相続税になるが、同和会に依頼して申告してもらうと同和に対する優遇措置を定めた法律が適用され、税金が安く済むうえに納めた税金の二~三割が国から同和会に交付され恵まれない同和の人達のために使われることになり、大変良いことだからそのようにして欲しいとの巧妙な説得があった(第六回被告人一四丁目表一行目)。
被告人としては、同和の優遇措置が法律で定められているということは、初めて聞き及ぶことであったものの、松本は鐘紡不動産の顧問まで努めているれっきとした司法書士であり、そのような法律上の資格を持った人物がでたらめを言うとは思えないこと、被告人としても同和地区の人達は税制上優遇されているということを耳にしたことがあることから、自分は税金についての知識・経験に乏しいため今迄知らなかったものの、なるほどそのような法律があるのか、さすが専門家はよく知っているなと思い込んだのである。
その後、松本から優遇措置を受けた場合の税額について約五千万円であるとの連絡もあり(第六回被告人一五丁目裏七行目)、右金額は船橋の概算によるところの農地特例を半分受けた場合の税額とほぼ同額であり、また、既に相続登記は松本に依頼してあるので、このような好条件にもかかわらず、税金についてのみ松本の申入れを断るのも心苦しかった(第五回保子三七丁目裏一〇行目)ので、相続税の申告についても登記同様松本に依頼しようと考えるに至った。
このように、被告人が迷いながらも、結局松本に誘導されていった状況は、十分うなづけるものであり、原判決が一九丁目表二行目以下で「同和会筋からの税申告を得策としてその話に乗ったということは疑わし」いと決めつけるのは不当である。
尚、その松本から仮装債務をでっち上げるとか、同和会が行う申告は法律上違法なものであるが事実上税務署の調査がないから大丈夫だとか、被告人から同和会が受け取る金員の大部分は同和会関係者らに山分けされ、実際に税務署に納税される金額は、約九〇〇万円に過ぎないなどという話は一切なかった。ましてや、仮装債務の金額が二億一千万円であるとか、債権者が有限会社同和産業であるとか、被告人が右債務を全額支払ったと仮装する等ということは全くおくびにも出されなかったのである。(第六回被告人一八丁目裏九行目)。しかも、このような説明はその後同年一〇月二五日の申告の当日に至るも全くなされなかったのである。
結局、被告人としは、同和会に依頼して申告すれば法律に定められた同和の優遇措置を受けられるという認識があるのみで、法律に違反した脱税の意思ないし認識など全く有していなかったのである。
原判決の事実認定では、九月上旬の松本の説得については全く省略されており、七月初旬の時点で話はすっかりできていたかのようになっているが、被告人が最も信頼していたのは初対面の長谷部や村井などではなく、あくまでも松本なのであるから、その松本からの説得を抜きにして本件を評価することは失当である。そして、原判決は一六丁目裏六行目以下において、被告人を説得するのであれば、「七月初めの被告人方での集まりの機会を逃して後日の電話に譲るというのも解せないやり方」であると決めつけるが、被告人が松本を信用し切っていたこと、被告人の側に積極的に脱税に加担しようという気持ちがないことを踏まえて、松本が徐々に被告人を説得していくという方法をとり、長谷部らがあまり表面に出ないということも、一つの駆け引き、作戦として十分にありうることである。
9、同月一二、一三日頃、被告人は他の法定相続人らとの間で、遺産分割協議書を作成した。
右協議書の文案は松本が作成したものであるが、松本の被告人に対する説明の内容(第六回被告人二二丁目表九行目)は、この書類は他の法定相続人が相続財産から一円ももらっていないということが書いてあるのだという程度のことであり、それ以上の具体的な説明はなされず、また被告人としても法律の専門家の作成した文書であるから、なるほどこのようなものかと流し読みした程度であり、また、他の法定相続人らからもなんの異議も出されなかったため、当時被告人としてはこの協議書の文章について(「債務を含む。」という部分も含めて。)格別注意を払ったことは無かったのである(第六回被告人二三丁目表五行目)。
10、同月一七日頃、被告人は松本に対し、「先生、私らには法律のことは全然わかりませんので、とにかく何か書いたものをおくれやす。」と申入れた(第六回被告人二三丁目裏九行目)。これは前述の鐘紡不動産との土地の売買交渉において、被告人名義の土地を息子二人に贈与して全体としての税金を安くすることになり、そのために生じる贈与税については全額鐘紡不動産が負担すると口頭で確約していたにもかかわらず、いざとなると同社が贈与税約五〇〇万円を払ってくれずトラブルとなり、結局同年七月一八日頃に至って、漸く三〇〇万円を同社が負担することで話がついたのである(第六回被告人一丁目裏三行目・第五回保子四乃至八丁目)。被告人ら夫婦としては、鐘紡不動産ほどの会社がきちんと約束してくれたことでさえも、文書にしておかないと結局反故にされてしまう、やはり、こういう難しい事柄については書いたものがなければだめだと痛感したのである(第六回被告人二丁目裏二行目・第五回保子九丁目表)。このため、本件の同和会を通じての相続税の申告についても、松本からとにかく書いたものをもらっておいたほうがいいだろうと考えこのような申入れをしたものである。
また、松本の説明によれば、同和会に申告を一任すれば同和に対する優遇措置を受けられるというものの、被告人自身はその法律の仕組み等に関して全く不明であり、且つ直接税務署と折衝しないうえに、他方同和会も国から交付金を受けるというかたちで利得するということであり、被告人としては同和会がその利得を優先させ被告人の利益を損なうようなことがないようにと考えたものであり、その立場上、当然のことを要求したに過ぎない。
尚、「念書」との表題及び文書の内容については、松本が一方的に作成したものであり、被告人において指示等したものではない(第六回被告人二四丁目表九行目・検第二六号証一五丁目裏)。従って、原判決が、一九丁目表最終行以下で「(念書)の記載内容が被告人の説明とは一致しない」ことを理由に、念書の作成に関する被告人の供述の説得力が乏しいとするのは不当である。被告人は言わば素人であり、松本からそれなりにもっともらしいことの書かれた念書をもらった以上、これを以って安心したことは十分想像できるのであり、さらに、緻密な分析を加えたり、クレームを出したりしなかったからといって、念書の記載内容が被告人の意図を正確に反映しているものと決めつけるのは短絡的すぎると言うべきであろう。
また、鐘紡不動産の場合は売買の当事者であり、同和会はそうではないという法律上の違いはあるとしても、素人である被告人とすれば、何れも税金問題について、業者や専門家から色々説明を受け説得をされてこれに従って処理するという意味では共通であり、被告人の意思解釈という意味では、鐘紡不動産と同和会の法律上の立場の違いはさして重要なこととは思えない。
11、相続税の申告の期限は、同年一〇月二六日であったが、同月二三日頃になって漸く松本から連絡があり、申告当日被告人において用意すべき金額が約五千万円であるとの指示が初めてなされた。その際、松本は関係者において早急に山分けする必要上、小切手ではなく現金で用意する旨被告人に厳命した(第六回被告人二六丁目表四行目)ものの、被告人としてはその理由を知る由もなかった。
12、申告の期限の前日である(もっとも、被告人は当日が期限であると思い込んでいた。―――第六回被告人二六丁目裏八行目)同月二五日午後三時頃、漸く松本、長谷部らが被告人宅を訪ねて来た。被告人宅から大津税務署まで車で約四〇~五〇分かかるため、もともと時間的余裕はほとんどなかったのでに加えて、長谷部らが突然印鑑証明が足らないなどと言い出したため、被告人ら夫婦が大慌てであちこち印鑑証明を捜し回るという一幕もあり(第六回被告人二九丁目表一〇行目)、また、早急に現金を数える必要もあって、いよいよ時間がなくなり、結局松本らは申告書を被告人に見せることもなく、被告人に申告書への署名押印を求めることもなく、具体的申告納税額を教えることすらないまま(第六回被告人二八丁目裏七行目、二九丁目表六行目)、被告人が渡した現金を受け取るや被告人の同行の申出もことさらに拒否して(第六回被告人三二丁目表五行目・第五回保子三九丁目裏一二行目 ―――被告人が同行を許否したかのような原判決八丁目裏五行目以下の認定は誤りである。)、あたふたと出ていったのである(第六回被告人三〇丁目裏最終行)。
なお、当時被告人は、当日予定した四九一四万円全額が納税額で、その一部が国から同和会に交付されるものと考えていた(第六回被告人二〇丁目表一一行目)。長谷部が申告当日被告人に交付した預り証も、四九一四万円全額に対するものであり、同和会名義の補助金等(四九一四万円から税額を差し引いた残額)に関する領収証が送付されたのは約一週間後のことであった(検第二六号証一五丁目表)。
このようなやり方は松本、長谷部らの当初からの筋書どおりであり、要するに被告人に具体的な申告の中味について得られないうちに、とにかく現金を受け取って手続きを済ませてしまうおうというたくらみであったものと思われるが、被告人としては松本らを全面的に信用していたため、同人らの言われるままになっていたものである。
原判決は八丁目六行目以下において、申告書が卓上に置かれ、「目をやれば」容易に申告税額を知ることができたと認定しているが、松本証言にいう「見ようと思えば見られる」という表現は、「目をやれば」見えるということとはイコールではなく、あまりにも飛躍がある。
また、原判決は、一六丁目裏八行目以下において、被告人は相続税の申告に関して「なかなかに抜け目がないといえる対応振り」を示しているのに、申告書を見なかったというのは不自然であり、申告税額の数字を瞥見したか、税額の数字を知ることに関心を示す必要がない状況が存在していたものと推量せざるを得ないと述べるが、不当である。
原判決が指摘するような、被告人の納税に対する関心、例えば農地特例の適用の提案等は、何れも世間でごく一般的・常識的なものであり、「抜け目がない」などと評価できるような性格のものではない。ましてや、既に述べたような被告人に具体的な申告内容をできるだけ悟らせまいとする犯人グループの動きに目をつぶり、被告人が申告書を見なかったのがおかしいという点ばかり指摘するのは、事実の一面のみを不当に強調するものである。
13、申告の終了後、松本一名のみが被告人方に戻り、被告人に申告書の写し(但し、第一表一枚のみ。)、納付書兼領収証書の二枚のみを交付した(第六回被告人三二丁目裏三行目)。従って、問題の仮装債務に関わる領収書等は被告人に手渡された書類には含まれていなかったのである(第六回被告人三五丁目裏二行目)。
被告人は領収証書に記載された納税額を見て、さすがにこんなに少なくていいのかなと不安になり松本に確認したが、同人の説明は「同和会の方できちんとしているので大丈夫や。一旦国へ納めるか直接同和会にお金がいくか、どちらでも同じことであり、これでいいんや。」とのことであった(第六回被告人三三丁目裏一二行目)。そのため、被告人としては税理士や司法書士に依頼してきちんと処理してもらっているのであるから、自分のような学のない者が心配することもない、これで大丈夫だと納得したのである(第六回被告人三四丁目裏九行目)。実際には、被告人が松本らに交付した四、九一四万円の内、納税された九、〇六七、七〇〇円を除く約四千万円については、松本、長谷部らが欲しいままに山分けしたのであるが、被告人は当時このような事実を全く知らされていなかったのである。
原判決八丁目裏八行目以下によると、被告人は納付書兼領収証書と申告書控を見ても「別段驚く風もなく」正規の領収書の交付を要求したと意味あり気に認定しているのであるが、これは全く松本側の手前勝手な解釈に便乗したものであり、不当である。被告人はその場では申告書控は見ておらず、従って、仮装債務の点について全く認識していなかったのであり、しかも松本にこれで大丈夫なのかと確認までしているのである。また、慌てて「カンパ金」と申告書作成費用の領収書を要求したのも、申告税額が、長谷部らに交付した金員のごく一部すぎなかったという予想外の事態に直面してとった行動というべきである。
14、この結果、被告人は松本・長谷部らに騙取された約四千万円の他に重加算税二千五百万円を支払わなければならず、さらに、農地特例を受ける機会を失ったことにより、これによる減額可能分約五千万円についても全額納付したのであり、その損害はざっと見積っても約一億一千五百万円の巨額に達しているのである(但し、松本、惣司からは、被害金の一部の返済を受けている。)。
第三、本件の真相と被告人の「犯意」の不存在について
以上の事実経過によれば、なるほど昭和五九年一〇月二五日、大津税務署において同署長に対し起訴状記載のような虚偽の相続税の申告書が提出されたこと、実際の課税価額及びこれに対する相続税額が起訴状記載のとおりであることは事実であるが、右申告書の提出は被告人がなしたものではなく、また被告人の意思に基づくものでもなく、同和産業に対する二億一千万円の仮装債務についても、長谷部らが独断でなしたものであり、被告人の認識するところではなかったのである。従って、被告人が長谷部ら四名と共謀のうえ相続税を免れることを企てた事実はないし、長谷部らが債務を仮装し虚偽の申告書を提出するなどということは全く認識していなかったものであり、原判決は認定は誤りである。
1、被告人が長谷部らと脱税を共謀したものではなく、被告人としては適法な相続税の申告手続きを同人らに依頼したにもかかわらず、長谷部らは被告人の信頼の厚い松本と謀るなどした上、「同和の優遇措置」が適法なものであると被告人を巧妙に欺罔し、計画的に被告人から多額の金員を騙取したものであることは次のような事情により明らかであり、原判決の認定は誤りである。
(一) 被告人が長谷部らと共謀して脱税をなしたものであれば、当然長谷部らにおいて事前に被告人に対し脱税の手口等について詳細な説明がなされるはずであるが、本件全証拠を総合するもそのような事実を見出すことはできず、むしろ長谷部らの被告人に対する説明内容は極めて曖昧なままに終始しているのである。この点は次のような関係者の証言等によっても明らかである。
(1) 松本善雄の証言によれば、昭和五九年七月二、三日頃の被告人に対する説明は、
「ある組織・・・を通じてすれば、正規の税額の半分ぐらいでできる」(第二回松本一二丁目表二行目)
という程度のものであり、その後何回か被告人に会って説明した際に、税金が安くなる理由について被告人に聞かれたかとの質問に対しても、
「聞かれたかもしれませんが、これも確たる記憶はございませんですね。」(同裏九行目)
とのことである。このように税金が安くなる理由さえ説明したか否か不明である以上、債務を仮装するという脱税のからくりについて説明したか否かはなおさらはっきりしないことになるのではないかとの問に対し、
「そういうことになります。」(第三回松本一一丁目裏九行目)
と認めているのである。
他方、時期的には本件よりも以前である近藤傳次郎の件については仮装債務について同人に説明したことを明確に記憶しているのであり(同二丁目裏)、仮に松本が被告人に対し同様の説明を行っていたとれば、当然何らかの記憶が残っているはずである。
(2) 次に惣司定次郎証人は、裁判官の「(昭和五九年七月初旬の時点では)そういう説明(注 ―――仮装債務のこと)まではしていなかったというふうに記憶しているんですか。」との問に対し、
「はい、そうです。」(第四回惣司三二丁目表三行目)
と明確に認めている。この点については同人の検面調書(検第一八号証)にも「長谷部さんも借金があるようにして申告するということまでは説明していなかったと思います。」との同旨の記載がなされている。
そして、松本の同じように惣司も被告人に対して仮装債務に関する説明を行ったことは全く覚えていないにもかかわらず、近藤に対してこのような説明を行ったことは明確に覚えており、被告人についても特に説明がなかったけれども多分同じ手口でやるんじゃないかなと内心思っていたなど証言しているのである(同月三一丁目裏)。
(3) 長谷部純夫の検面調書(検第一九号証)においては、被告人に対する説明内容について何等具体的な記載はなく、村井英雄の検面調書(検第二八号証)には、被告人に対する説明内容についてかなり詳細な記載が見られるが、被告人に対して債務を仮装する旨説明したとか、仄めかしたなどという記載は一切これを見出すことができないのである。
(4) 以上のとおり、松本、惣司、長谷部、村井の証言または検面調書を総合しても、申告の事前事後を問わず被告人に対して債務を仮装する旨説明したと述べているものは、誰一人としていないのである。そして、松本、惣司は被告人以外の依頼者(近藤)については、仮装債務の説明を行ったことを明確に記憶していると述べているのである。
(5) 仮に、被告人が長谷部らに対し脱税を依頼したものであるとすれば、当然被告人としても脱税の手口についても長谷部らに対し詳細な説明を求めるはずであり、かかる説明なしに約五千万円もの多額の金員を長谷部らに託するということは到底考えられず、従って長谷部らにおいてしかるべき説明を行っているはずである。
しかるに、このような説明が最後まで行われなかったということは、被告人に脱税の認識がなかったというほかないのである。
(二) 一記載の事実経過によれば、被告人と長谷部らとの間においては、詳細な打合せなどまったく行われず、むしろ長谷部らとしては被告人に申告の内容等具体的な点については、できるだけ知らしめないよう、仮に被告人に察知されることがあるとしてもその時期をできるだけ遅くするよう周到な配慮を重ねていることが明らかであるが、仮に、被告人と長谷部らが脱税を共謀していたものであれば、長谷部らにおいてこのような方法を取ることは極めて不自然である。
(1) すでに(一)において述べたように、債務を仮装すること自体を説明していないくらいであるから、ましてや仮装債務の内容(債権者名、債務額、債務の種類等)については一切説明がなされていないのである。また、被告人が申告の際に用意すべき金額についても昭和五九年一〇月二六日の申告期限の直前である同月二二、二三日頃になって漸く松本から、それも電話で「五千万円を現金で用意して欲しい。」という概算額の指示がなされたのであり、被告人が長谷部らに手渡すべき具体的金額が特定されたのは、同月二五日の申告当日であり、申告額及び納税額が被告人において知りうる状況に置かれたのはなんと申告終了後のことなのである。
(2) 松本は申告当日の状況について、被告人は申告書を見ようと思えば見れたはず(第二回松本四丁目裏一〇行目)だが、実際に被告人が申告書の内容を見たかどうかについては確たる記憶はなく(同六丁目表二行目)、松本自身が被告人に対してメモをもとに申告内容について説明したのではないかとの点についてもはっきりした記憶はないと述べている(第三回松本九丁目表三行目)。そして、仮装債務の内容(債権者名や具体的金額等)については、「全く出ていません。」と即座に断言しているのである(第二回松本一六丁目表最終行)。
(3) この点は惣司証言も全く同様であり、申告当日においてさえ被告人に対し具体的な税額の説明はなされず(第四回惣司二二丁目表三行目)、せいぜぜいこれから申告に行くという挨拶があったくらいで、惣司としても頭に残っているのは皆が印鑑証明を捜し回ったくらいであり(同三丁目表一一行目)、要するに申告の内容については、もう任しておいれくれということで説明はされず(同裏七丁目)、結局被告人としては税額についてさえも「知らはらへんと思いますわ。」(同二三丁目表六行目)と言うのである。
(4) 長谷部・村井と被告人が顔を合わせたのは、昭和五九年七月初旬頃の紹介の席と同年一〇月二五日の申告当日の僅か二回であり、しかも前者については、被告人の供述によれば、簡単な挨拶と鐘紡不動産の地上げの進行状況について世間話をしたのが主体であり、松本、惣司らの証言によっても、債務を仮装することの説明がなされたという記憶さえないのであるから、およそ申告内容について具体的な打合せなど全くなされていないのである。後者については、前記(3)記載の惣司証言が述べるととおり、皆で印鑑証明を捜し回ることに時間の大半が費やされ、申告内容について何らかの具体的な説明がなされたという記憶は、松本・惣司両名とも全く有していないのである(この点については、長谷部、村井の検面調書においても何ら具体的な記載がない。)。そして、この二回の出会いの間(約三ヶ月半)には、松本から時折通常の場合の税額の連絡等があった程度なのである。
(5) そして、特に申告当日の状況については、申告が期限の前日というぎりぎりの日の、しかも午後三時というせっぱ詰まった時間にずれ込んだのは、専ら長谷部らの側の都合(むしろ、わざとぎりぎりの時期・時間にずれ込むよう計画されていた疑いが濃い。)によるものであり、もともと申告内容を詳しく説明する時間的余裕などないように仕組まれていたのである。そして、申告書を被告人に見せることも、納税額を教えることも、申告書に自ら署名押印させることも、申告書のコピーを交付することも一切なされず(これらの点について各関係者の供述が一致している。)、申告後になって漸く申告書第一表のコピー一枚と納付書兼領収書が被告人の手元に渡されただけなのである。
(三) 同和会の役員である長谷部、村井はもとより、松本、惣司も各々一千万円、九〇〇万円という巨額の不法な利益を得ており、しかも同人らはこの点を被告人に対して慎重に秘匿しており、被告人としてはまさか松本らがこのような金を懐に入れているなどということは、全く予想だにしていなかったのである(第六回被告人一八丁目表一二行目)。仮に、被告人が脱税を承知の上であれば、松本らにおいて脱税の報酬ともいうべき右金員の受領を被告人に対して秘匿する必要はなかったはずであり、また、被告人と長谷部・松本らの間において、脱税の報酬について何らかの話合いが持たれたはずである。
(四) 原判決は、被告人の供述の一部に変遷があることについては、執拗に分析してみせるのであるが、その反面、犯人グループの行動の仕方やその供述内容については、弁護人の弁論における明確な指摘を全く無視し、一顧だにしていないのである。従って、御庁においては、この点について十分に審理・検討していただくことを切望する次第である。
2、1では専ら長谷部・松本らの側の視点から事件を分析したわけであるが、次に被告人の側の視点から、被告人がなぜ長谷部らに欺罔されるに至ったのかという点について検討することにする。
(一)(1) 被告人は農家の長男として生まれ、家業の農業を継いで営々として土にまみれて働いてきたものである。その人間性は経歴、供述態度からも明らかなとおり、一口にいって純朴、ばか正直で、算盤ずくの立回りなど到底できない性格である。
(2) これに対し、長谷部、村井は全日本同和会の役員であり、マスコミに脱税コンサルタントなどとして宣伝されたしたたか者であり、松本は司法書士、惣司は地上屋と言われる不動産業者であり、何れも本件以外に脱税事件を手掛けてきた、言わばその道のプロばかりである。従って、このような人物が四人も組めば、被告人を欺罔し思いのままに操ることなど極めて容易なことである。
(二) しかも、長谷部、松本らの説明の内容は、極めて巧妙なものである。
(1) 被告人の供述によれば、昭和五九年九月上旬の松本の説明の内容は、永い間虐げられてきた同和部落の人々を税制上優遇するための特別措置として、同和会を通じて申告すると納めた税金の何割かが補助金として国から同和会に交付され、同和の人々のために使われることになり、同時に税額も安くなって申告する者も優遇されること、このような特別措置は法律で定められている正当なものであること等である(第六回被告人一四丁目)。
(2) 惣司証言によれば、「京都の同和会という政治団体に頼めばということを木村さんに言わはりました。それでそこへ、税額の半分をカンパすると全部申告して、ちゃんとやってくれるんだ、とそういうことを先生が説明しやはりまして、ああ、そうですか、と、ほな、いっぺん親戚の者とも相談して、頼むものなら頼みますわということで、第一回目の時は。」(第四回惣司五丁目裏)ということであり、被告人が親戚の者とも相談するというような説明の内容であれば、松本が勧める申告の方法が法に触れるようなものではないと巧妙に説明していたことは明らかであろう。
(3) また、村井の検面調書(検第二八号証)によれば、長谷部は被告人に対し、部落差別に対する行政の責任として同和対策審議会の答申が出されたとか、右答申に基づいて同和対策事業特別措置法が制定されたとか、同和会は自由民主党のバックアップを受けて国税局との間の確認事項に基づいて税務対策を行っているとか、長谷部らの勧める「同和の優遇措置」なるものが、公に認められた適法なものであると被告人を誤信せしめるに十分な誠に巧妙な説得を行ったというのである。しかも、この席には法律の専門家である司法書士の松本が同席し、このような長谷部の説明を踏まえて、被告人らに対し安心して同和会に申告を依頼するよう勧めるのであるから、舞台効果としては満点である。
(三) 被告人は公判廷において、同和の優遇措置が法律で定められていることは松本に聞かされて初めて知ったが、それ以前にも同和の人達がなぜか税金が安くなり、税制上優遇されているというようなことを耳にしたことがあると述べている(第六回被告人一七丁目表二行目)。ところで、同和地区の住民については税金が安く、税制上優遇されているとの風評は、その真偽はともかくとして、世間に一般に言われていることであり、一般市民の感覚としては、このような取扱の根拠・理由等は知らないにしても、社会的に容認されているように考えている場合が多いものと思われる。
従って、司法書士などという法律の専門家から前述のように同和の優遇措置が法律で定められていると説明され、更に審議会や法律の名称だの、自民党が支援しているだの、国税局との確認事項だのというもっともらしい言葉を聞かされれば、法律や税に関する知識、経験等がほとんどない素人が容易に欺罔されることは、無理からぬところである。
(四) しかも、本件の場合は松本から示された同和の優遇措置を受けた場合の税額は、約五千万円とのことであり(第六回被告人一五丁目裏七行目)、農業協同組合職員の舟橋克典が農地特例を受けた場合の概算額として被告人に示した金額とほぼ同額であり、被告人が、農地特例の他にもほぼ同じような額で済ませる節税の方法があったのかという程度の受け止めかたをしたとしても、十分理解できるものである。
もっとも、農地特例を受ければ税額は同和の優遇措置を受けた場合と同じ約五千万円であったとしても、農地の約半分は処分できなくなるのに対し同和の優遇措置を利用すれば全部処分できるのであるから有利ではないかとも考えられるが、被告人としては相続税の支払のために一部の土地を売却する必要はあってもそれ以上に土地を処分する必要はなく、また先祖代々続いた農家という意味でも土地を売却する考えは全くなかったのであるから、この点は特に同和会に申告を依頼する動機とはならないのである。被告人としては、松本に相続登記を依頼するついでに相続税の申告も依頼しようという程度の認識であった。被告人とすれば、税金を約五千万円に減額することは農地特例を受けることで容易に達成できるのであり、しかも前述のとおり農地特例を受けることに何らの支障もなかったのであるから、同和会の申告なるものが違法・不当なものであることを知りながらあえてこれを利用して税金を免れるなどという危ない橋を渡る必要など全くなかったのである。他方、松本らとしては被告人に対し、農地特例を受けた場合とほぼ同額の税額を提示することによって、被告人をして同和会に申告を依頼せしめるよう巧妙に誘い込んだものと思われる。
第四、犯意・共謀を認めた原審認定批判
一、はじめに
被告人の犯意等を認めた原審認定は、率直に言って、極めてわかりにくいものである。このわかりにくさは、有罪の結論を先行させたため生じた事実認定の粗暴さに由来するものであろうが、控訴審においての慎重な吟味・検討を希望する。
さて、原審は判決書九丁以下の「三、被告人の供述内容とその信用性」で被告人の検面供述・公判供述の信用性を種々の角度から検討し、これらの供述のうち原審認定事実に反する部分は「不当に安い相続税額での税務申告をすることの認識がなかったことを強調しようとするあまり事実を歪曲して述べようとする傾向が推察され信用性に乏し」い、と断じている。しかしながら、後に述べるように、右信用性判断は結論を先行させたためその結論に抵触する事実を黙殺・切り捨てるなどしており、到底控訴審において維持されうるものではない。
また、原審は判決書二〇丁以下の「四、ほ脱の犯意及び共謀の有無」で被告人の犯意等を検討し、要するに一般的な状況証拠よりほ脱の犯意があったと考えるのが最も合理的であり、かつ検察官に対する信用性の高い自白(参照 判決書二四丁表より裏)もあるので被告人に「概括的ながらほ脱の犯意を有していた」ものである、と断じている。しかしながら、後に述べるように、右認定も「不正であると気がつかない筈がない。」との「裁判官の常識」によるもので、その常識に抵触する事実を黙殺・切り捨てるなどしており、到底控訴審において維持されうるものではない。
以下、「二、被告人供述の信用性判断に対する批判」、「三、犯意等認定に対する批判」について述べる。
二、被告人供述の信用性判断に対する批判
1、原審判断の構造
原審は、被告人供述の信用性を判断するにあたり、まず被告人の検察官に対する供述(以下、判決書に従い検面供述と言う。)を別紙検面供述一覧表記載のごとく<1>乃至<16>の一六項目にわたり摘記し、また、被告人の公判における供述(以下、判決書に従い公判供述と言う。)を別紙公判供述一覧表記載のごとく<1>乃至<12>の一二項目にわたり摘記する。ついで、別紙検面供述一覧表のうち<1>乃至<3>、<5>、<12>、<15>項記載の供述につき、これを「詭弁」、「信じ難い」、「解せない」等々と断じ、あたかも検面供述には信用性の一片もないかの如き論旨を展開する。そして、また、公判供述については、それが検面供述と食い違い・矛盾したりして「いかにも不自然であり信用することは難かしい。」、「首尾一貫」しないうえ、供述内容にも「疑わし」さがあり、供述の時期も「尋常でない」、「信用できない。」云々と述べ、「(検面供述が)検察官の押し付けによる供述だ」との弁解(=公判供述)も信用できないと断じる。
原審は、以上の前提にたって被告人の供述(但し、ここでは公判供述・検面供述の区別をしていない)につき「被告人の供述は、その内容自体に経験則に照らして不自然、不合理な諸点が指摘されるばかりでなく、前後において理由もなく供述が変遷して一貫せず、それも検面供述から公判供述に至るにつれ矛盾撞着は著しく、全体的にみて、被告人が同和会を通じて不当に安い相続税額での納税申告をすることの認識がなかったことを強調しようとするあまり事実を歪曲して述べようとする傾向が推察されて信用性が乏しく、これを前記認定事実と対比した場合、それに抵触する限りで虚構のものとみるほかはなく、被告人の供述が右認定を左右するに由ないものというべきである。」と断ずるのである。
2、公判供述の信用性判断について
(1) 前述のごとく、原審は、公判供述の信用性の根拠の一つとして検面供述との食い違い・矛盾を指摘する(参照 公判供述一覧表<1>項と検面供述一覧表<1>項、公判供述一覧表<3>項と検面供述一覧表<3>順等の食い違い・矛盾)。しかしながら、被告人はそもそも検面供述には検察官に押し付けられた部分があると弁解しているのであり、このような食い違い・矛盾を根拠の一つに公判供述の信用性を否定するのは推理・推論の誤りとしか評しようがない。これに加えて、原審は前述のごとく検面供述の信用性は極めて低いと断じていることに照らせば、右推理・推論の欠陥は一層明白となる。
従って、判決書一八丁表六行目以下より同丁裏四行目までの原審判断は誤認と評さざるをえない。
(2) また、原審は、被告人の「内緒の法律があるとか税務署の調査がないとかいうことは聞いておらず」云々の公判供述は検面供述と著しく相違し、「一方で、税金は約五〇〇〇万円で済むと教えられたとも述べるところもあって首尾一貫せず、農地特例の適用を受けて大巾な節税をしようかとも考えたという被告人が、いうような多少の税額の軽減しか示唆しない同和会筋からの税申告を得策としてその話しに乗ったということは疑わしく、右事実を公判廷ではじめて供述することも尋常でない。」と指摘し、その信用性を否定する。
しかしながら、まず、公判供述と検面供述の相違・矛盾は前述のごとく本件の場合公判供述の信用性を否定する根拠になりえないので、これを根拠の一つに置く原審認定は明らかに誤りである。また、「税金は約五〇〇〇万円で済むと教えられた」旨の公判供述と「正規の税額の半分で済むということも最後まで知らず」云々の公判供述の間に首尾一貫しないところ(=不一致)がある旨指摘するが、被告人の公判供述を熟読すれば明らかなように実質的な不一致ではなく、「首尾一貫」しない状況もない。更に、被告人は「同和会筋」が「多少の税額の軽減しか示唆し」てなかったと公判で供述した旨摘示されるが、被告人の公判供述を熟読すれば明らかなように、実質上そのような供述をしてない。なお、原審は被告人が右事実を公判廷で初めて述べたことを把え「尋常でない。」と指摘するが、それは取調の実情を看過した議論である。
従って、被告人の前記公判供述の信用性を否定する根拠はいずれも理由がなく、判決書一八裏五行目以下より一九丁表五行目までの原審判断は誤認と評さざるをえない。
(3) また、原審は念書を要求した動機に関する被告人の公判での供述につき「売買の当事者でもない同和会側に、その税申告の方法に不安も覚えなかった被告人が念書の差入れまで要求するのはやはり異例であり、その記載内容が被告人の説明とは符合しないことからみても、右被告人の供述の説得力は乏しい。」と指摘し、その信用性を否定する。
しかしながら、まず、「一応の用心」として依頼先の同和会側に念書を要求することは、被告人が税務申告手続きにうとく、かつ、同和会側の人間とは松本を除き、一度しか面談したことがない状況のもとでは、むしろ当然と評すべきである。原審は「売買の当事者でもない」云々と念書要求の動機の稀薄さを指摘するが、被告人の抱いた「一応の用心」の対象は売買だけにあるものでないことは言うまでもないことで、原審の右指摘はいわゆる揚げ足とりのたぐいであろう。つぎに、「(念書の)記載内容が被告人の説明とは符合しないこと」も、右念書の作成が松本に一任されていた状況(参照 松本証言)に照らし何ら異とするに足らない。
従って、被告人の前記公判供述の信用性を否定する根拠はいずれも理由がなく、判決書一九丁表五行目以下より同丁裏二行目までの原審判断は誤認と評さざるをえない。
(4) 更に、原審は検面供述は検察官に押し付けられた旨の被告人の公判での供述につき「他の関係証拠の内容に反して被告人に有利な内容がいくつもそのままに録取されており、むしろその部分の信用性が疑問視される位のもので、これが検察官の押し付けによる供述だとは到底考えられない。」と指摘し、その信用性を否定する。
しかしながら、別紙検面供述一覧表記載の<1>乃至<16>の一六項目のうち他の関係各証拠に照らし被告人に有利な内容の項目が何項目あるというのであろうか。のみならず、質的に考えても、同一覧表記載の<5>・<6>項及び<9>の項のごとく被告人の犯意を認定しうる「自白」はキッチリ押さえられているのであって、その他の項目の供述は特段被告人に有利な内容のものとは到底評しがたく、かつ、「他の関係証拠」との相違も、被告人の公判供述とその妻・証人木村保子の証言との相違からうかがえるように、単に被告人の記憶治外と解しうるのである。
従って、被告人の前記公判供述の信用性を否定する根拠はいずれも理由がなく、判決書一九丁裏二行目以下より同七行目までの原審判断は誤認と評せざるをえない。
(5) 以上、「公判供述の信用性判断につき」種々批判してきたが、原審判断のよって立つところは被告人が「不正であると気がつかない筈がない」との「裁判官の常識」であり、その立場より被告人の公判廷における弁解を裁断してるにすぎないことを是非理解していただきたい。そして、被告人の公判供述を先入感抜きで慎重に吟味・検討されるよう希望する。
3、検面供述の信用性判断について
(1) 前述のごとく、原審は検面供述が刑責を免れようとする意図のもとになされた虚偽性の強いものとし、その信用性を徹底的に否定しながら、他方で認定事実にそう検面供述、就中、被告人の犯意を裏付ける供述(参照 別紙検面供述一覧表<5>・<6>・<9>項記載の供述)については、これを「真意に基いたものと認めることができる。」(参照 判決書二四丁裏八・九行目)と実にご都合主義的な判断をしている。このような判断も、要するに、被告人が「不正であると気がつかない筈がない」との「裁判官の常識」に由来するものである。
原審は、右「裁判官の常識」に基づき検面供述の内容的不自然さ、他の関係証拠との不整合性を指摘し、被告人は自己の刑責を免れるため意図的に虚偽供述をしているとまで踏み込んだ判断をおこなっているが、そのいずれも前述のように特段被告人に有利な内容の供述でないうえ、他の関係証拠との相異・不整合性も被告人の記憶違いと解しうるものである。原審は、被告人の言動につき「抜目がない」、「手抜かり」がない旨認定しているが、木村保子証言、被告人の公判供述等により明らかとなっている被告人の人柄・人格等に照らし、これ程の事実誤認はあるまい。
控訴審における証拠の慎重な再吟味・検討及び被告人尋問における被告人の人柄・人格等の再吟味・検討を希望する。
(2) ところで、原審は前述のごとく別紙検面供述一覧表<5>・<6>・<9>項記載の供述の信用性を肯定している。この判断が如何にご都合主義的なものであるかについては既に指摘したとおりであるが、それに加えて、右判断は正に「他の関係証拠」と整合していない。即ち、原審において提出した弁論要旨三二頁以下で指摘しているが、別紙検面供述一覧表<5>・<6>項記載の供述は被告人のみしかしておらず、その相手方となる松本は右供述の核心部分となる「内緒の法律」、「(税務署の)調査がない。」等との説明を被告人にしたとは一切供述・証言してない。
当然のことながら、被告人の取調官に対する供述は、その供述が犯意等の有・無を判断するうえで、また、被告人の刑責を追及するうえで必要不可欠な核心的なものであれば、その裏付調査・取調べがなされている筈であるし、その裏付調査・取調べは可能であった(即ち、相手方たる松本を取調べれば済むことであった。)が、本件の全証拠を精査しても、この裏付けの証拠は存在しない。要するに、被告人の検面供述の中にのみしか存在しないのである。
自白の信用性について実証的研究をおこなっている守屋克彦判事は「客観的事実との不一致は自白の信用性の判断の消極的なコントロール基準として用いられることになる。」と述べておられる(参照判例時報一二〇〇号二七頁以下)。本件の場合、厳密に言えば被告人の右「自白」に対応する客観的事実の不一致と言うより、客観的事実の不存在(あるいは、捜査官側の見落としによる証拠の欠落)に当ると言うべきであろうが、いずれにしろ、被告人の右「自白」の真実性を裏付ける証拠資料は存在しない。
しかるに、原審は、前述のごとく別紙検面供述一覧表<5>・<6>項記載の供述につき、前述「裁判官の常識」に基づき「真意に基いたもの」と認定しているが(参照 判決書二四丁裏八・九行目)、かかる事実認定は許されない。
のみならず、原審は、「(被告人の右自白は)条理に反する弁解を維持し切れなくなってやむなく真実を述べたものと考えられ、右自白の信用性は逆に高いものとみないわけにはいかない。」と指摘している。しかしながら、この推理・推論も矛盾している。仮に、被告人が言うところの「条理に反する弁解を維持し切れなくなった」と言うのであれば、まず、その「条理に反する弁解」が撤回・訂正されている筈であるが、そのような撤回・訂正はほとんどなされていない。要するに、「条理に反する弁解」は大筋で維持されたまま、被告人の刑責を認める旨の自白(参照 別紙検面供述一覧表<5>・<6>項記載供述)が突然なされるのであって、「自白」の前提が明らかにされていないうえ、その契機も不明なままとなっている。むしろ、かかる「自白」の前提が不明、その契機が不明なままの犯意に関する「自白」は、この「自白」の信用性を否定するものであることに留意されたい。
控訴審における慎重な吟味・検討を希望する。
(3) また、念書の作成の意図・動機に関する検面供述についても、その信用性を肯定しているが、これも「裁判官の常識」に由来するものである。前述のごとく被告人のように税務申告手続にうとく、かつ、同和会側の人間とは松本を除き一度しか面談したことがない状況のもとで、念のため「一応の用心」として「何か書いたもの」を要求するのは、むしろ、社会通念に照らし当然のことである。まして、被告人夫婦は以前単なる口頭による依頼を反古にされた経験もあったのであるから、念のため「一応の用心」として「何か書いたもの」を要求するのは自然なことであって、何ら「異例」のことではない。のみならず、原審は「(念書の)記載内容が被告人の説明とは符合しないこと」をもって、公判供述の信用性を否定し検面供述の信用性を肯定する根拠にしているかのようであるが、これは、この念書内容が松本の一存によって起案、作成された事実(参照 松本証言等)を見落としたものとしか考えられず、かかる誤認に基き別紙検面供述一覧表<9>項記載の供述の信用性を肯定することも許されない。
控訴審における慎重な吟味・検討を希望する。
三、犯意等認定に対する批判
1、原審判断の構造
原審は、犯意を認定するにあたり、まず、「被告人自身も、松本や長谷部らとその相続税の申告問題で接触し説明を聞くうちに、同和会を通じて行なう自分の相続税の申告につき、それが前記のごとく架空の相続債務をでっち上げるといった不正手段を用いることまでの具体的認識はなかったにしても、少なくとも、長谷部や松本らが本件相続税の申告手続きをしに出かける時点までには、その申告が、何らかの違法不正な手段を講じて正規の申告相続税額をはるかに下廻る過少の申告を行なって税を免れようとするものであることは十分承知したうえで同人らにそれを委ねたものと推認することができる。」として、その理由として極めてわかりにくい論旨を展開するが、要約すれば
ⅰ 松本らは不正手段で脱税を企図しているが、それをあからさまには被告人に知らしめないものの、「そこに自ら生ずる矛盾から………不正が(被告人に)察知されることも十分あり得る」。
ⅱ 本件では、松本らの説明内容に照らし「ごく通常の社会常識の持ち主であれば………特別の税実務の知識を持たなくとも、不審と懸念を覚えて当然であ」る。
ⅲ 松本らもその「不審と懸念」を慰撫するためクレームがつけられたことがない旨被告人に説明し、被告人も右説明を納得したかのごとく応じているが、これは被告人が正当な税務申告と理解したことを意味するのではなく、単に「(黙認され)事実上その違法不正な行為が咎めを受けることがないだろうと思ったに過ぎないものと解するのが自然である。」。
ⅳ その後の念書要求は「拭い切れない万一の不安に対処する被告人の慎重な方策と目される」。
ⅴ 一〇月二五日被告人が申告書の提示を要求しなかったのは「尋常でなく」、見ようと思えば見れたのに「あえて」見なかったのは「益々不自然なものになる。」。
ⅵ のみならず、被告人は松本らに領収証を要求し受領するなど「手抜かり」なく振舞っており、この振舞いとⅴ記載の無関心さは「不可解というほかない。」
ⅶ これに加えて、被告人は検面供述一覧表<5>・<6>・<9>項記載の供述をしているが、この「自白」は十分信用できる。
以上の次第で、「被告人は概括的ながらほ脱の犯意を有していたものというべきである。」ことになるというのである。
しかしながら、別記ⅶの事実は既述のごとく理由がない。そこで、以下、ⅰ乃至ⅵの指摘事実の妥当性について検討する。
2、ⅰ・ⅱについて
このⅰ・ⅱ指摘の事実こそ、正に「裁判官の常識」が色濃く反映されているところである。しかしながら、その語調よりうかがえるように「不正が察知されることも十分あり得る」に過ぎず、また、「ごく通常の社会常識の持ち主であれば………不審と懸念を覚えて当然であ」るに過ぎないのであって、個別、本件被告人にとって「あり得る」か、「当然であ」るかについては何ら説示されておらず、あくまで犯意認定のさいの遠い背景事実にすぎない。
のみならず、同和対策として、その詳細は不明であるが、税務上の恩典が施され、税務上の優遇措置がとられていると言うのが通常の社会常識であり、真実でもある。とすれば、通常の社会常識に水準をどこに求めるかによっても変化するが、「不審と懸念を覚えて当然」と評される社会人としては一定の税務知識等を有する者に絞られざるをえない。
ところで、被告人は前述のごとく税務申告手続きにもまったくうといのみならず、これまで主として農業に従事してきただけの社会生活歴しか有さないのであるから、被告人に「不審と懸念を覚え」ることを期待するのは、酷にすぎるであろう。
従って、前記ⅰ・ⅱ指摘の事実は被告人の犯意等認定にさいしては極めて軽く、かつ薄くしか評価さるべきではない。
3、ⅲ・ⅳについて
このⅲ・ⅳ指摘の事実も「裁判官の常識」が反映されているところである。その語調も「思ったに過ぎないものと解するのが自然である。」、「………と目される」と極めて婉曲的であり、かつ、この事実自体、推測にほかならず、これのみが単独で犯意等認定の根拠たりえない、その意味でⅰ・ⅱ同様、犯意認定のさいの遠い背景事実にすぎない。なお、ⅲ指摘の事実のうち被告人が抱いたであろう「不審と懸念」の認識が、その後、突然「違法不正な行為」の認識に格上げされてるが、これは明らかにスリ替えであるので、留意されたい。
4、ⅴ・ⅵについて
このⅴ・ⅵ指摘の事実は原審において明らかとなった一〇月二五日の状況(参照前述第二・12項、13項)を全く無視したもので、有罪の結論が先行してはじめてなしうる認定であり、控訴審において到底維持されうる認定でない。
5、被告人・弁護人の意見
原審は、被告人が「不正であると気つかない筈がない」との「裁判官の常識」に立ち、その立場より被告人の言動を評価し、「抜目がない」、「手抜かり」ない被告人の犯意等を認定している。が、これまで述べてきたところから明らかなように、原審認定の基礎となる証拠評価は牽強附会で、あえて言えば、粗暴ですらある。控訴審においての慎重な吟味・検討を重ねて希望する。
また、被告人の犯意を検討するうえで、被告人が農地特例を利用すれば本件「脱税行為」とほぼ同額の経済的利得を合法的に挙げられ、かつ、一〇月頃までその農地特例の利用を考慮していた事実(参照 検面供述一覧表<8>項記載供述)の意味を是非とも検討されたい。即ち、仮に被告人に犯意があるとすれば、被告人は同額の経済的利得を得るため違法な手段を選択したことになるが、これは通常人の感覚に照らしても、また、被告人個人の感覚に照らしても不自然・不合理な選択である。なお、農地特例を利用した場合の制約については、被告人が原審で述べているように、実害がなかったのであるから(参照 被告人供述調書・速記録一九丁裏)、右不自然さ・不合理さは説明のしようがないことになっていることを指摘しておく。
第五、総括
以上、証拠上明らかとなった本件の真相、原審認定の矛盾・破綻につき様々な角度から検討してきたが、原判決は破棄を免れない。
原審認定の誤りは、すべての証拠評価の基礎に「不正であると気がつかない筈がない」との「裁判官の常識」を置いたことに由来する。この「裁判官の常識」から被告人の種々の言動を照射すれば、それらはすべて灰色か黒にしか映らないのであるが、この「裁判官の常識」は必ずしも被告人のそれと一致するものでない。被告人の常識からその種々の言動を照射した場合、それらはすべて一貫して、単に被告人が松本らに欺罔され多額の金員を詐取されたさいの言動としてしか理解できない。
「裁判官の常識」に依拠して事実認定をすることは可能であろう。しかし、そのような認定はそれに抵触する多数の事実を黙殺・切り捨てることによってしか成立しないし、なにより、被告人を含む一般人を納得せしめるものでない。
裁判における証拠評価の過程は常に検証可能な合理性を有すべきであり、間違っても「裁判官の常識」のごときブラック・ボックスが混入することがあってはならない。
控訴審における慎重な吟味・検討を希望する。
以上
検面供述一覧表
<1> 昭和五九年六月初めころ松本司法書士が被告人方にきたときには、相続登記の件は依頼したが、税金については良い税理士を知っていたら紹介してくれということを頼んだだけでその際税金が安くなるといった話はなかった。
<2> 同年七月初めころ、長谷部、村井が右松本と一緒に被告人方を訪ねてきて、松本の紹介で長谷部から名刺を受取ったが、そのとき老眼鏡が手許になかったため名前を確認しただけで同人が同和会の人であることまでは分からなかった。
<3> 同人らとは三〇分位話しその話の内容は全く覚えていないが、結局同人らに税金の申告をお願いすることにした。
<4> あとになって右名刺を確認したら右長谷部は全日本同和会京都府・市連合会事務局長であることが分り、税理士の肩書はついてなかったが、税金の計算ができる人と思った。
<5> 同年九月初めころ松本が電話で相続税額を教えてくれるとともに、同和会の方から税金の申告をすれば特別の法律が適用されて、税金の半分の金でそのうち二、三割を同和会にカンパして貰うことで税務署が認めてくれるとのことを言ってきたが、直ぐには納得できる話ではなかったものの、その後何回か家に来た松本の話を聞くうち、それは、「同和の人達を優遇する内緒の法律があって、これによると同和の団体にカンパする人はカンパ金と税金の合計で本当の納税の半分の金を支払えば済むようになっている、税金とカンパ金の割合は七、三で、そのようにして同和会から申告書を出せば税務署の調査はなくてストレートに通る。」ということであるのが分った。
<6> しかし被告人は、適法に税金が半分になるような法律があれば誰だってその適用を受けたいし、そういう人があちこちにいる筈なのに初耳の話だし、そうなればまともに税金を収める人がなくなって国が困ることになるのにそんな法律を国が作るとも思えないといった疑問がある一方で、松本は税務署が認めてくれていて調査がないという風にもいったりすることからして、松本がそのような法律があると言うのは脱税にならないと安心させるための便法としての嘘であり、その意味は、結局のところ、同和会から税金の申告をすれば正しい額の半分より安い金額の申告でも税務署の調査がなくてそのまま通るということだと理解し、本当の税額よりずっと安い嘘の申告をするのだと分ったが段々言うとおりにして貰おうという気持ちになった。
<7> 同年一〇月上旬ころ、松本より通常の税額が先の計算による約一億七〇〇万円より安い約九、五〇〇万円になることを知らされたが、更に税額を少なくする方法として、農地特例も受け、遺産のうち三、〇〇〇万円の預金を母に相続させる方法も検討することを頼んだ。
<8> その後まもなく松本が最終的に計算した正規の税額が九、五六八万六、九六〇円になることを知らせてくれたが、その際預金の件は税額に変りがないということとともに、農地特例の適用は得策でなく心配しないで同和会に一切任せた方がよいと言われ、結局松本の言に従うことにした。
<9> しかし、松本は絶対大丈夫だとはいうが、本当の税額よりずっと安い税額の嘘の申告をするので、もし税務署に調査でもされたら大変という不安があったのでそのときは同和会の人や松本に責任をもって貰おうと一筆書いてくれるよう要求した。
<10> 同月二五日、長谷部、村井、松本及び惣司の四人が被告人方に来、まず松本から要求していた念書を受取ったあと遺産分割協議書等所定の手続書類を整えたうえ長谷部が何かメモを見ながら要求した現金四、九一四万円を同人らに手交した。
<11> その際長谷部がもう七、七〇〇円いるといい、同人が持っていたメモにはその端数が書かれているのが見えたが上の数字は分らなかった。
たが上の数字は分らなかった。
<12> 長谷部らはその席に被告人の相続税の申告書を持参してきており、被告人もそのことを知っていたのでそれを見なければならない筋合だが、約五、〇〇〇万円もの大金を渡すことでぼ-としていて見せてくれとは言わず、申告書は見ていない。
<13> そのあと長谷部ら四人は税務署に申告に出かけたが、自分は行かなくてもいいと思って一緒に行くとは言ってない。
<14> その後納税を済ませて引き返してきた松本が納付書及び相続税の申告書控を渡してくれたので、そのうちの納付書、領収証書を見て被告人の申告相続税額が九〇六万七、七〇〇円であったことを知り、予想より随分少なくなったなと思った。
<15> しかし申告書写の方は、税金の申告が済んでやれやれという気持と松本がこれで心配ないと言っていたので見なかった。
<16> 申告書を今見せて貰うと、父が有限会社同和産業から二億一、〇〇〇万円もの借金があったように申告していることが分ったが、申告に何か細工があるだろうとは思っていたが、そんなでたらめなことをしているとは知らなかった。
以上